朝食の後、梨花の発案でキャンプ場の中央を流れる沢で魚釣りをすることになった。
なんでも放流している川魚を釣るためには、管理事務所で釣り竿のレンタルが条件らしい。
コテージ備え付けの冊子に目を通していた正志が、気怠そうに大きな欠伸をしている清三に声を掛けた。
「レンタルするのを手伝ってくれないかな」
「・・・・・・お、おう」
清三の声を聞くと、昨夜の出来事が正志の脳裏を過った。こっちの気も知らずにまったく悪びれた様子のない清三の態度に拳を強く握る。
しかし目の端に子供たちや梨花を捉えると、大きく息を吐いて負の感情をコントロールした。エンジンキーを手に取り、清三を待つことなく外に出た。
「お、おい――― 待ってくれ」
いつもと違う正志の雰囲気に、清三が慌てた感じで追いすがる。
そこへ梨花が声を掛けた。
「―――待って。売店に行きたいんだけど」
妻の申し出に足を止めた清三は、子供達の着替えを手伝っている恵美子の背中に視線を向けた。
「そ、そうか・・・・・・ じゃあ俺は残るから、梨花が筒井と一緒に行ってくれ」
視線を妻に戻した清三が言った。2人のやり取りは恵美子に聞こえていない。
運転席に乗り込んで清三を待っていた正志は、コテージから1人で出てきた梨花を見て首を傾げた。
「あれ? 川野は?」
「売店に行きたいから代わってもらっちゃった」
助手席にちょこっと座った梨花へ正志は聞いた。戸惑っている正志に、梨花は笑顔で答えた。
今までならば笑顔が可憐な梨花を歓迎しない理由はない。しかし妻と川野の不貞を目の当たりにした現状では、手放しで喜ぶことはできなかった。
それは正志と梨花の2人が管理事務所へ向かえば、子供たちの存在があるものの、恵美子と清三がコテージに残る事になる。
正志には強い抵抗があった。しかし梨花に対してどう説明したものか・・・・・・。
結局のところ正志が運転する車は、助手席に梨花を乗せて管理事務所へ向かうこととなった。
車が走り出すと、見送るように片手を挙げた清三がコテージから出てきた。
ルームミラー越しに、外の水道で顔を洗うのが見える。
財布の中身を確認している梨花の横で、正志は小さくない不安を抱いたのだった。
管理事務所までは、往復で10分とかからない。
太陽が高くなるにつれて、淡いと思えた森の緑がだんだんと深い色に変わって見える。
ハンドルを握った正志は、あれこれと悩むよりいっそのこと昨夜の不貞の事実を梨花の前でぶちまけてしまおうか、と考えたりもするのだが―――頭の中に浮かぶのはかわいい子供たちの笑顔だった。
仮に不貞の事実を恵美子に突き付けたとして・・・・・・漠然とだが今後は子供たちとは一緒に暮らすことが出来ないように思えた。
深い森の中に迷い込んだように思考が囚われる正志。
確実に分かっていることは、梨花の目の前で不貞を暴露すれば、お互いの家庭は近い将来必ず崩壊を迎えるということだった。
「昨夜は眠れました?」
助手席の梨花の問いかけで、正志は巡る思考を中断させた。
「―――っえ!? う、うん・・・・・・ どうかな」
どう答えていいのか迷った正志は、曖昧な返事を返した。
「そうなんですね。私ね、じつは真夜中に目が覚めちゃって・・・・・・ そしたら、声とか聞こえたから」
顔を真っ赤に染めた梨花の告白に、正志は思わずブレーキを踏んで道の真ん中で車を止めた。
「覗くつもりはなかったんです。ただ筒井さんと恵美子は仲がいいなって・・・・・・」
助手席へ顔を向けた正志は、梨花が大きな勘違いしていることを理解する。
正志自身も目を覚ました当初は、今の梨花と同じように川野夫婦の営みだと思っていたのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
額に手を当てた正志は、言葉に詰まった。
「・・・・・・ごめんなさい。変なこと言って」
真っ赤な顔をした梨花が顔を伏せる。
「いや、別に・・・・・・ 起きてたんだ・・・・・・」
「普段から一度目が覚めちゃうと眠れなくて、それにあんなに―――別に悪い事じゃないし、夫婦なんだから――― 仲がいいなって」
「梨花ちゃんところも仲が良いように見えるけど・・・・・・」
「そんなことはないんですよ。恥ずかしい話、もう長い間、夫婦生活はないんです」
「えっ!?」
突然の梨花の告白に正志は戸惑う。そして昨夜の出来事を思い返した。
―――僕の妻にはあんなに積極的だったのに・・・・・・ こんな可愛い奥さんには見向きもしなのか・・・・・・
「私が拒んでるんです。きっかけは夫の浮気でした――――――」
川野の女癖の悪さを聞いて、自分の妻を寝取られた立場の正志は怒りの感情を通り越して呆れてしまう。
「―――ごめん。同じ職場の僕が気付けていたら注意して止めさせられたのに・・・・・・」
「ふふ、筒井さんが謝ることじゃないですよ。でも本当に筒井さんは優しいんですね。恵美が羨ましい・・・・・・」
「そうでもないよ」
「でも、昨夜だってあんなに激しく――― あっ! ご、ごめんなさい」
耳まで真っ赤にして恥じらう梨花。体温が上がったのか片手の平で顔をあおぐ仕草をする。
そんな助手席の梨花の様子に、正志はごくりと生唾を飲み込んだ。先ほどまで、妻の不貞に心が乱されていたのが嘘のように、梨花の恥じらう表情から目が離せなくなっていた。
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