出発の準備が整うと、妻の恵美子が戸締りを確認して回り、正志は子供たちに靴を履かせた。2階から恵美子が降りてきたところで、来訪を告げるチャイムが鳴り、玄関のドアが勢いよく開く。
「すまん、すまん」
明るく、野太い声。一緒にキャンプに行く、もう一家族の主、川野清三が手を合わせて謝った。清三の斜め後ろには、妻の梨花が立っていた。
梨花は、恵美子の大学時代からの親友で、豊満な体の恵美子とは対照的に線の細いスレンダーな体型をしている。
「15分の遅刻だよ」
清三の顔を見上げて、正志が言った。
「直属の上司に厳しいな」
笑顔で返す清三に、「ははは」と乾いた笑いで応えた正志の内心には、笑いとは別の感情が去来していた。
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筒井正志と川野清三は入行の同期である。歳は正志より清三が5歳上であった。清三は地方銀行の前に、大手都市銀行に勤めていた経歴があったのだが、家庭の事情で退職し地元に帰ってきていた。
今の銀行に再就職し、新卒の正志と同期になったのが縁で知り合うことになった。
清三には前職で培ったノウハウがあり、直ぐに一目置かれる存在となって、同期の中では早々と役席に座った。外見は、中肉中背の正志とは違い、大学時代にラグビーで鍛えた肉体を今も維持した身長180センチの巨漢で、一見して地方銀行の行員には見いない。
二人は入行後の職場が異なったが、何故だか気が合い、研修先などで顔を合わせると、明け方まで酒を酌み交わし気心が知れる仲となった。
また、仕事以外で二人の関係を近づけた要因があった。それは、恵美子と梨花の関係である。これは全くの偶然であるが、恵美子と梨花は大学時代からの親友だったのだ。
結婚した恵美子が、ある日、「新しい彼氏ができた」と梨花から清三を紹介され、その彼氏が夫の同期であったことから世間の狭さに驚いたのだった。
同期の枠を超えて、友情を培ってきた正志と清三であったが、その関係に歪が生じたのは、今春の人事異動で清三が正志の直属の上司になってからだった。歪みといっても正確には正志側の感覚である。ある時は上司、ある時は同期という清三の振る舞いに大いに戸惑い、例えようのない寂しいさを感じるようになっていたのだ。―――乾いた笑いの裏には、こういった背景があった。
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8月初旬の、よく晴れた朝―――。
二家族は、一泊の予定で県北部のキャンプ場へ向かうために、新築の筒井家を集合場所としていた。
7人乗りのミニバンを購入したことから、恵美子が梨花にキャンプの話を持ち掛けて今日に至る。
正志にしてみれば、清三との職場での微妙な関係を考えると気が重かった。
両家は過去に一度、キャンプに一緒に行った事がある。その時は、互いの車で分乗して行った。しかし今回は、筒井家が7人乗りのミニバンを購入したことから、1台に同乗してキャンプへ行く事になったのだ。
「恵美ちゃん、久しぶり」
玄関先に立った清三が、正志の後ろで顔を出した恵美子に、屈託のない笑顔で声を掛ける。
「お久しぶり、川野さん。梨花は3日ぶり?」
さっきまでの不機嫌さに蓋をした恵美子が、笑顔で答えた。
いつの間にか、長男の正彦と長女の香住が、川野梨花の短パンから生える真っ白い生足にまとわりついている。
「おばちゃんと一緒にキャンプ行く人この指止まれ!」
清三と梨花の間に子供がいないせいか、梨花は実の子のように筒井家の子供たちに接し、何かを感じ取るのか子供たちも梨花によく懐いている様子だった。
「それじゃあ、そっちの荷物を載せたら出発しよう」
子供たちと梨花がじゃれあっているのを尻目に、正志は太陽が照付ける庭先へ出た。
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