築30年を過ぎたマンションの501号室は、日中に焼き付いたモルタル屋根の放熱で夜になってもエアコンの効きが悪く、蒸し暑かった。
この部屋の主―――今年で59歳を迎える鈴木昌義は、勤続35年の一般的なサラリーマンである。人柄は温厚で真面目を絵に描いたような人物だ。
真面目だけが取り柄の昌義は、職場ではうだつが上がらず出世には縁がなかったものの、私生活では妻の照子との間に一男一女を儲けそれなりに幸せな人生を送ってきた。
これといった趣味はない。
定年を前にした最近の楽しみといえば、妻が寝た週末の夜に秘蔵の日本酒を味わいながら映画を鑑賞することだった。
―――平凡だが幸せな人生。それが昌義の歩んできた道だった。
記録的な猛暑の夏、平坦で代わり映えのしなかった昌義の生活が一変する出来事が起こる。
それは東京で働いていた長男の和義が交通事故に遭い、体に麻痺が残り車椅子生活となったことがきっかけだった。
体の自由を奪われた和義が退職を余儀なくされると、大黒柱を失った長男一家は今まで専業主婦だった妻の美智が働かなければならなくなった。
しかしリハビリが必要な夫と、生まれたばかりの乳飲み子を抱えていては仕事を見つけることもままならず、結果として長男一家が昌義を頼ってマンションの一室に転がり込んできたのだ。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
同居が始まって暫く経った週末の夜―――。
居間のテレビ画面にはモノクロの時代劇が流れている。
ソファーに座っている昌義は映画そっちのけで、テーブルに置いた日本酒の瓶を眺めながら1人で物思いに耽っていた。
頭の中では『あと少しで迎える退職後の事』『実家の年老いた両親の事』『リハビリが必要な長男の体の事』、そしてなにより『長男の嫁、美智の事』が巡っていた。
長男の和義から、「結婚したい」と初めて紹介された時のことを未だに覚えている。慎ましく振る舞う彼女を見て、くっきりとした目元が印象的で整った顔立ちだと思った。モデルのように小顔で手足がすらりと長く、ついつい自分の妻と比べてしまいげんなりしたのだった。
際立っていたのが肌の白さで、まるで白磁のような透明感があり、触れればひび割れてしまうように思えた。
そんな美しい長男の嫁との同居生活で、昌義の心身にも少なからず影響があった。
周りには口が裂けても言えないが、枯れていた男の部分が時折ではあるが反応することがあったのだ。
最後に妻とセックスをしたのはどのくらい前なのか―――昌義はもう思い返すことができない。
時間を忘れて昌義が物思いに耽っていると、玄関横の長男夫婦にあてがっていた6畳間から孫のぐずった様な泣き声が聞こえてきた。
(夜泣きが多い子だ。美智さんはオッパイが出とらんのかな・・・・・・)
義理とは言え、父として娘と孫を心配する自然な思考であった。
しかし不意に―――昌義の脳裏にエアコンの効きが悪いため、胸の谷間に玉の汗を浮かべて子供に乳をやっている美智の姿が浮かんだのだ。
美しい美智のはだけた胸元。パンパンに張った乳房に幼い孫が懸命にむしゃぶりついている。
目隠し替わりに羽織った薄手の布から見え隠れしている大きな2つの膨らみは、真っ白いバレーボールのような大きさで、表面には薄っすらと青白い血管が幾重にも走ってやけに艶めかしい。
喉の渇きを覚えた昌義は、母乳を求める赤ん坊のように長男の嫁の胸元へ両手を伸ばし――――――。
「―――お義父さん!? お義父さん? 起きて下さい」
いつの間にか眠っていた昌義は、長男の嫁に揺り起こされた。
「う、う~ん・・・・・・ 美智さんか?」
「お義父さん、お布団で寝てくださいね」
「あぁ、いつの間に眠ってしまったのかな・・・・・・ それより美智さんはどうしたんだい?」
「授乳のために起きたら居間に電気がついていたので・・・・・・」
目を覚ました昌義の投げ掛けに、美智は少し顔を赤らめて答えた。授乳という言葉を聞いて、昌義は先ほど見た夢の光景を思い出す。そして何かを誤魔化すように、「うぉほんっ―――」と小さな咳ばらいをした。
「もう夜中の2時を回ってますよ」
「・・・・・・そんな時間か。オッパイをやるのも大変だなぁ」
「―――イヤだお義父さんたら。その言い方・・・・・・ 授乳ですよ、授乳」
「おっ!? セクハラ、いやマタハラってやつだな・・・・・・これは申し訳なかった」
「別にいいですけど―――うふふふっ」
長男の嫁の指摘に、昌義は真っ赤な顔で言って頭を下げた。そんな義父のアタフタとした反応に、美智は思わず笑ってしまった。
今夜の美智の格好は、ブラジャーの色が透けて見える半袖のシャツ1枚とホットパンツ。いつもの部屋着であるのだが、むっちりとした太ももが露出して男なら誰でも目のやり場に困るものだった。
思わぬ話の流れから、昌義の視線は自然と大きく膨らんだ美智の胸元に釘付けになった。
授乳の話で義父の視線が自分の胸元に注がれたことを意識した美智の手が胸元を隠す。
―――居間に気まずい雰囲気が漂った。
その場の空気を払拭するように美智が口を開いた。
「そうだ、何を観てたんですか?」
「ああ、眠ってしまって殆ど観てないんだよ」
最近主流のサブスクというやつだ。
定額で色々な映画が楽しめる。テレビの画面は、昌義が視聴していた映画の再生画面の冒頭に戻っていた。
「これ私も観たいと思ってたんですよ」
テレビ画面を見た美智が言った。
「美智さんが時代劇を?」
「これでも黒澤映画は全て観てます」
「ほほぉ、嬉しいな。美智さんと共通の話題ができたぞ」
長男の嫁の思わぬ告白。時代劇が好きな昌義は相好を崩した。
「そうだ、よかったら美智さんも一緒に観るかい?」
「・・・・・・そうですね」
笑顔で提案する昌義に、即答を避けるように美智は言った。
「おや、どうした?」
「その―――なかなか時間が取れなくて」
「ああ、そうか・・・・・・ 子育てが忙しいか。なら私が孫をあやしながら一緒に観ればいいだろう。たまには好きな映画をゆっくり楽しむといい」
提案を重ねる義父の言葉に美智は思案顔を作った。
そして暫くの沈黙があり、「じゃあ、お願いします」と言って小さく笑って返答した。
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