シェルターでの避難生活3日目。
政府の説明では、地上で侵略者と交戦中ということだが、僕たちは何事もなく避難生活を送っていた。
地下なので地上の音は聞こえてこない。外の状況が伝わってこないかわりに隣り合ったシェルター個室の生活音が漏れ聞こえていた。
「壁は分厚そうだが、けっこう響くな」
「ここは地下2階で上と下にも個室が並んでいるからね」
「私は他の誰かと一緒なのがわかってホッとします」
七緒の言うとおり、日常の中だとストレスに感じていた他人の生活音でも、今は不思議と安心感を覚えた。
初日以降、壁に掛かっているモニターは沈黙したまま。電源をつけても画面は真っ暗で、僕たち三人はやることもなくベッドの上でそれぞれが本を読んで過ごしていた。
そして、突然聞こえてきた。
『‥‥‥う、うう』
それは女性のものと思われる呻き声だった。
聞こえてくる方向は、ベッドが接している壁の向こう側からで、とても苦しそうなもの。
「幸人さん‥‥‥」
七緒が不安そうな顔を向けてきた。
「隣の部屋の人は確か‥‥‥」
シェルターの個室の並びは、アパートの部屋と同じだった。
隣は確か若い男性の一人暮らしだったはず。見掛けた時はいつも私服姿なので僕の中では大学生という認識。
『う、うっ‥‥‥』
こもった声だが、よく聞くと明らかに女性の声だった。
呻き声の間隔は断続的で、段々と大きくなっているようにも感じた。
「大丈夫かな」
僕は安心させるために七緒の手を握りながら、反対側に座っている父さんを見た。
すると父さんは僕を見るなり口の端を持ち上げてニヤリと笑った。
「お愉しみ中ってか」
「えっ‥‥‥!?」
薄々は感じていたけど、ズバリ言われると隣に妻がいる状況では返答に困る。
最初は苦しんでいるように聞こえたが、今はどこか熱を持ったような艶っぽいものにしか聞こえない。
「こんな状況なのに」
「バカかお前。こんな状況だからこそだ。極限状態に置かれた人間は生存本能が働いて性欲が高まるんだよ。聞いたことくらいあるだろう。それはそうと隣はお前たちと同じで新婚なのか」
「僕たちと同じって‥‥‥僕たちは結婚して2年経つから新婚じゃないよ。隣は若い男性の一人暮らしのはずだけど」
「結婚2年は立派な新婚だ。そんなことを言ってるからいつまで経っても孫の顔が見れんのだ。そうか、隣は若い独身男か。だったら彼女か―――」
いつものことだが、父さんのセクハラ発言は、七緒が近くにいても構いなしだ。
『あ、ああ、う、ううぁ‥‥‥はぁあん』
聞こえてくる呻き声―――嬌声が大きくなった。
父さんが金属製の壁に耳を押し当てる。
「父さん、そういうのは止めろって」
「誰も見てないし、いいだろう。暇つぶしの余興だ」
いやいやあなたの義娘が見ているのだが‥‥‥父さんはこんな場所で興奮して一体どうするつもりなのか。
普通に考えて欲求不満になるだけだと思うのだが‥‥‥。
七緒は僕の隣で頬を赤らめ苦笑いを浮かべていた。
シェルターでの避難生活7日目。
相変わらず外の情報は一切なし。電気と水のライフラインは生きている。
僕たち三人は、日々デジタル時計の表示を頼りに規則正しい生活を心掛けていた。
ただ壁の向こう側からの嬌声は、毎日続いていた。
「ふぁ―――、あれだ、あれ。こう毎日だと頭がおかしくなりそうだ」
父さんが愚痴を零した。あんなに聞き耳を立てていたのに‥‥‥。
時刻は午後8時を回っていた。隣から聞こえてくる嬌声は今日だけで2回目。
1回目は朝っぱらから始まって、僕たちはその声で目を覚ましていた。女性の嬌声に混じって住人の男性と思われる声も聞こえてきたが、何をいっているのかまでは聞き取れなかった。
「なあ幸人、お前たちは大丈夫か? その、なんだ‥‥‥俺がシャワーを浴びてる間に‥‥‥」
父さんが何を言いたいのかはわかる。
七緒の顔を見れば、困ったように苦笑いを浮かべていた。
「こんな状況でそういうことはないから。父さんが変に気を遣う必要はないよ」
「ああ、そうか。だがな、ちょっと言わせてくれ。俺がここに避難していなかったらと考えたら‥‥‥お前たち妊活中だったろ? だからヤリたくなったら正直に言ってくれ。その時はシャワーを長めに浴びるから。ほら、水を流してれば声は聞こえんと思うし―――。七緒さんも遠慮なく言ってくれ」
「あのな父さん。いくら娘だからって義理なんだから―――、そういうこと七緒に言わないでくれ」
「幸人さん、大丈夫ですから。お義父さんも悪気があって言ってるんじゃありませんし」
「そうだ、俺は二人のことを考えてだな」
呆れるしかない。シェルターに避難している状況が影響して父さんは頭でもおかしくなったのか。
「父さん、普通に考えてみてくれ。こんなところで妊活して、七緒が妊娠でもしたらどうするんだ。外に出られないのに無責任なことができるわけないから」
「そんなことはわかってる。俺が言いたいのはだな、精神衛生上の問題があるってことだ。若い夫婦が毎日こんな喘ぎ声を聞かされてみろ、普通にストレスが溜まって欲求不満になるぞ。独房みたいな場所でストレスを抱えたら体もそうだが心も病気になる。俺はお前たちの親としての責任があるんだ。それは子供が何歳になろうと変らない。だからお前たちを守るためにも健康でいてくれなくちゃ困る」
父さんの気持は伝わってくるが、それでもセンシティブな問題だ。
親子だからこそ言葉を選ぶ必要があった。
「父さんの言っていることは、ストレスを発散するってことだろ。それなら運動したり、ほかのことでできるから。たとえそういう行為が有効だったとしても妊娠する危険がある以上‥‥‥やっぱりそういうことは‥‥‥」
僕が慎重に言葉を選んでいると、「幸人さん、国が配ってくれた救急箱の中にこんなものが―――」
そう言って七緒がコンドームの箱を差し出してきた。


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