妻が船室を出て行ってから、かれこれ10分近くが経過していた。
トイレであってくれという願いは風前の灯火といったところ・・・・・・。
泣きそうな気持で妻の戻りを待ちながら、僕はスマートフォンの画面を凝視していた。そこには通話アプリが起動している。
心配ならメッセージを送信すればいい、簡単なことだった。
しかしこの期に及んで迷っていた。おそらく怖かったのだと思う。妻の決定的な不貞を知ってしまうことを・・・・・・。
そして散々迷った挙句に、メッセージを送信したのだった―――。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
『どこにいるの?』
何も知らないふうを装いながら、慎重にメッセージの内容を吟味しする。結局、ストレートでシンプルな内容になった。送信ボタンを押すと、少しの間をおいて既読となった。
『起きたの? 少しお腹が痛くて』
『大丈夫?』
『大丈夫よ。先に寝てて』
『わかった。何かあったら電話して』
『何かって何よ(笑) もう少しトイレにいるから先に寝ててね』
妻が送ってきたメッセージでは、いま現在トイレにいるということだ。未だに田中は戻ってない。
まったく釈然としなかった。と、いうより直感で嘘だと判断した。
先に客室を出て行った田中と合流したのではなかろうか。
もしかしたらトイレというところは本当のことで―――個室の中で一緒にいるとか。
寝台の中でモヤモヤが募る。
愛妻は本当に最後の一線を越えるつもりなのか。居ても立っても居られない僕は、寝台から静かに起き出した。
まず向かった先は船室に一番近いトイレ。
女性トイレに入る訳にもいかず、とりあえず男性トイレの中を確認した。思ったとおり田中の姿はない。
次に女性トイレ。
周りに人がいない事を確認し、通路から頭を入れて覗いてみた。人の気配は感じられず、意を決して声を掛けてみたがやはり返事はなかった。
妻のメッセージではトイレとあった。
あえて客室から遠い場所のトイレに行くとは考えにくい。やはり妻のメッセージの内容は嘘だったのだ。妻の相次ぐ裏切り行為に目眩と吐き気を覚える。
探さなければという焦る気持ちの中で、あてもなくメインデッキに上がってみた。深夜帯にもかかわらず何人かの乗客とすれ違う。その中に目当ての姿はない。
妻の姿を求めてメインデッキから甲板へ出てみた。
生ぬるい潮風が憐れな男を慰めるように頬を撫でる。遠くの陸地には小さくて淡い蛍のような人工物の光が点在して見えた。
結局、甲板を一通り歩いてみたものの妻と田中の姿は見当たらなかった。焦燥感から喉が渇いていた。
甲板からメインデッキの中央階段まで戻ると、スマートフォンを取り出して通話アプリを立ち上げた。
探しても見つからないのなら、本人に直接聞いてみればいい。シンプルな考えだ。しかしここでも僕は躊躇してしまった。
メッセージを送信するとして、どんな内容を送ればいいのか・・・・・・。
「まだ戻らないの?」「大丈夫?」などと、どんな内容を送ったとしても意味が無いように思えた。
結局は嘘をついている妻は、何事かを隠したまま客室に戻ってくるだろう。
そうすれば妻の嘘は永遠にうやむやになってしまう。それでは夫としてこの先、夫婦関係をやっていけない。
もう少し探してみようと思い直しスマートフォンをポケットに仕舞い、不貞行為を目論む2人が行きそうな場所を冷静に考えてみた。
深夜、船上の通路で深呼吸する。
焦燥感に駆られながらも現状を自分なりに認識してゆっくりと心を落ち着かせた。
視点を切り替える。
2人は何処にではなくて、2人は何をするかだ。
そして、ふと人目につかないのでは、と思われる場所が頭に浮かんだ。
認めたくはなかったが、現状が物語っていた。
やはり妻は、僕に隠れて田中とセックスするつもりなのだ。
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