妻の着ているサマーワンピースの背中は大きく開いた形で、薄暗い映画館の中では透き通るような白い肌が淡いスクリーンの光に照らされてぼんやり輝いて見えた。
その背中に近づこうと一歩踏み出したところで、違和感を覚えて足を止めた。
疎らな客席のはずが、妻の左隣に男の背中が並んで見える。
隣の男は考えるまでもなく同室になった学生の田中君だろう。
田中君が妻を誘って映画を観に来ているのだから、隣同士で座ることはごく自然である。しかし僕が感じた違和感というのは、2人のあまりにも近すぎる距離にあった。
疎らな客席にあって、隣り合った妻と田中君の肩は不必要に密着し、知らない他の客から見れば、仲良く座る2人は恋人同士にしか見えないだろう。―――旅先だからって羽目を外しすぎだと思うのだが・・・・・・。
2人の背中を見つめていると、妻と田中君に対して苛ついた気持ちが湧き上がる。
そもそも僕らの夫婦関係は良好過ぎると言っても過言が無く、結婚してからは一度も喧嘩をしたことがなかった。
当然のことながら僕は妻を信頼している。だから今まで妻の浮気を疑ったり、不貞を想像したことなど一度もなかった。もちろん妻の美貌に吸い寄せられる男達の熱い視線には、日頃から警戒はしていたのだが。まさか楽しいはずの旅先で、こんな負の感情を妻に覚えるとは・・・・・・。
レストランでの食事の場面を思い返す。
身持ちの固い妻が初対面の青年たちに向ける笑顔と饒舌に過ぎる態度。日頃から子育てに追われている妻が旅先の解放感に浸り、エネルギッシュな若者たちと接することで、少なからず大胆になっていることは感じていた。
薄暗い映画館で若い男に体を寄せている妻を見ていると、今すぐにでも飛び出して行って2人の間に割って入ってやろうか、なんてことを考えたのだが―――それとは別に自分でも驚くようなことが頭に浮かんできた。
それは、いつもと様子の違う妻をもう少しだけ観察してみたいという夫としてはあり得ない思いだった。
段差を利用した座席に背もたれはない。
2人の背中へ息を殺して静かに近づいた。段差を降りて2人の斜め後方へ位置する。腰を掛けると、すぐに妻と田中君の様子を観察した。
近くで見ると、妻と田中君は肩どころか腰までもが密着した状態で、時折、田中君の顔が妻の耳元へ近づき何やら話し掛けている様子だ。
恋人同士のような雰囲気を醸し出している2人に愕然とする。
田中君は妻に何を話しているのだろうか―――まさかとは思うが口説いているということはないだろうか。
スクリーンでは激しいアクションシーンが連続していて、館内は銃撃と爆発の音で満たされている。
田中君は映画そっちのけで妻の方に顔を寄せて、なにやら懸命に話し掛けていた。
妻の方は、田中君の話に相槌を打ちながら、笑っているのか、微かに肩が揺れていた。
2人の背中を見つめる中、映画は終盤に差し掛かった。
主人公の2人が黒幕と対峙している。僕は田中君の顔が妻の耳元に近づく度に、じりじりとした焦燥感に苛まれていた。
黒幕が主人公の2人に敗れてビルの屋上から転落した。
僕の記憶が確かなら、この後にヒロインと再会してエンドロールが流れたはずだ。
焦燥感に苛まれている状況では、映画が終わりすぐに妻と顔を合わせる気にはなれない。
だから2人を避けて館内が明るくなる前に静かに席を立とうと思った。
僕が腰を浮かせた瞬間だった。妻の肩に田中君の腕が回された。
一瞬、びくりと肩を震わせた妻だったが、何故だか嫌がる素振りは見せなかった。
スクリーンにエンドロールが流れ始めると、僕の目の前で妻の頭が田中君の肩にゆっくりと預けられたのだった。
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