金曜日―――。 昼過ぎに、矢萩田のトラックが駐車場に入ってくるのが見えた。レジに立つ浅子は、矢萩田の姿を見ても、以前のような嫌悪感は不思議となくなっていた。また、この数日は、自分自身の人を見る目のなさを反省したりもしていた。 いつものように矢萩田が谷村のレジの前を通って、浅子のレジの前に立った。 「唐揚げまんこ」 「い、いらっしゃいませ。唐揚二個でいいですね」 浅子の中で嫌悪感が薄まると、矢萩田のセクハラ発言を冗談として扱い、受け流すことができた。 「なんや、おもろないなぁ」 「あの・・・・・・ この前はありがとうござました」 「あれからどないや」 「はい大丈夫です。あの子たちは一度も来てません。本当にありがとうございました。ああいうの慣れてなくて」 「まあ、普通の主婦はああいう悪ガキとの接点がないわな。おっと、ネエちゃんが主婦かどうかは知らんがな」 「主婦です。ただのパートです」 世間知らずの浅子は、一度助けられたということだけで油断をし、名前も知らない常連客の男にプライベートなことを簡単に漏らす。 世間一般でいう普通の主婦は、暴走族の若者と接点を持つことはない。しかし、この矢萩田という男の本質を知れば、同じことが言えたのだった。 浅子と矢萩田の会話を、隣のレジで谷村が面白くない顔で聞いていた。矢萩田が店を出て行った後、浅子は谷村にバックヤードに呼ばれた。 「客との私語は慎んでよ」 「すみません」 「あの客は信用できないよ。ずっと藤原さんを変な目で見てるから」 ―――体を触ってくる店長が言いますか 谷村の忠告に心の中で反論する。普段からセクハラを受けていた浅子には、谷村の忠告は全く説得力がなかった。 パートが終わり店を出た浅子は、矢萩田のトラックを見た。 ―――今日はいるのね――― 運転席に矢萩田を認めた浅子は、軽く会釈するように頭を下げて自転車に跨った。 ◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇ 週が明けた火曜日―――。 「唐揚げまんこ」 「ふふふ。はい、唐揚げ二万個ですね」 セクハラに付き合って、笑いながら浅子が返答した。 「おっ、ネエちゃん言うやん。そういうノリがええんやで」 矢萩田の注文を受けて、浅子は唐揚げの保温ケースを確認した。しかし日中に切らした事がなかった唐揚げが、一つも見当たらない。 「すみません。ちょうど切らしてて」 「そうか、ないんか。ここの美味かったからなぁ・・・・・・ まあ、来週までお預けやわ」 頭を下げた浅子に、少し寂しそうに矢萩田が言った。 「まあええわ。今日は探しとったやつがあったから」 矢萩田が言いながら、いつものように成人雑誌を差し出した。表紙には、劇画タッチの熟女の乱れた姿が描かれている。いやらしい絵の上の強調された文字が浅子の目に留まった。『人妻レ〇プ特集』とあった。 ―――まっ! いやらしい。でも・・・・・・ 男の人って誰でもこういうのが好きなんだわ 女は男の稚拙な行動に対して、感応を示す傾向がある。母性本能と言い換えることができた。恩人の矢萩田に対する嫌悪感は既に消失し、浅子は日増しに好感すら持つようになっていた。 また、恩人というバイアスが掛かった状況下に、成人雑誌を購入する程度では、最近勝手に膨らませている、不器用だが正直で働き者、というイメージを揺るがすことはできなかった。 弁当と成人雑誌の会計を済ませ、矢萩田の背中を見送った浅子は、フライヤーを使っている谷村を見た。いつもよりかなり遅い。 ―――ワザとだわ 直感的に思った。 実際、矢萩田との会話を快く思っていない谷村が、追加の唐揚げの出来上がりを遅らせて矢萩田が購入できないようにしたのだ。小さな嫌がらせだった。嫉妬に近い感情だと言える。 パートの面接時に、熟れた肢体の浅子に見惚れた谷村は、年甲斐もなく夢中になった。整った顔も好みだった。 一緒に働いている時は、隙があれば浅子の体を視姦し、たまらずセクハラ行為を働いた。 谷村の嫌がらせを直感した浅子は、恩人の矢萩田に対して、申訳ない気持ちが膨らんだ。唐揚げが出来上がり次第、矢萩田のトラックへ持って行こうと考えた。 しかし、そんな日に限って客が途切れることはなく、レジから動くことが出来なかった。パートの終了間際になって、浅子は唐揚げを二個購入した。店を出てすぐに、矢萩田のトラックを確認する。 ―――いない しかしトラックの運転席に、矢萩田の姿はなかった。 購入した唐揚げは、残念そうに店を出て行った矢萩田に届けるためのもで、助けてもらったお礼を兼ねていた。 帰宅する自転車に乗った浅子が、ゆっくりと矢萩田のトラックに近づいた。いつものように浅子の姿をルーフの小窓から見ていた矢萩田が、簡易な梯子を伝って急いで運転席に降りた。 「あっ、上から!?」 座席の天井付近から、突然現れた矢萩田に驚いた浅子が思わず声を上げた。運転席のドアを開けて、慌てて矢萩田が外に飛び出してきた。 「驚いたんか?」 「は、はい。まさか天井から降りてくるなんて。二階建てだったんですね」 「二階建て? そんなええもんやない。で、どないしたん?」 「あの、唐揚げです。すごく食べたそうだったから」 「おお! わざわざ持ってきてくれたんか。すまんな~美味そうや」 礼を言った矢萩田の視線が、浅子の全身を舐めるように這った。 黒色のダウンジャケットの下に、コンビニのユニフォームが見える。四十を超え、熟れた肉が付いた腰回りが、小さめのダウンジャケットにしぼられ強調されていた。 矢萩田が「美味そうや」と言ったのは、唐揚げのことだけではなかった。熟女の色香をふりまいている、浅子の恵体を値踏みした感想でもあったのだ。 「ネエちゃん、トラック好きか?」 唐揚げを受け取った矢萩田が質問した。 「・・・・・・別に」 今までの人生で、運送業に関わったっり、乗り物に興味を持ったことがなかった浅子の正直な感想だった。 「そうなんか、ようこっちを見とったやろ~」 「えっ!? あっ、あれは――― 運転席にいないから不思議で」 「わははは。じゃあ疑問は解決やな。天井が寝床よ」 「そうなんですね。ちょっとびっくりしまいた。これって常識ですか? 子供たちに話したらバカにされそう」 「どうやろ。業界じゃあ当り前でも、意外と知られてへんかな」 矢萩田は喋りつつ、浅子の様子を窺っていた。 トラックに興味はないようだが、自分に対しては警戒心を持っていないように見えた。唐突に、今が獲物を仕留める絶好の機会だ、と動物的な感が働いた―――。 「そや、ええ機会や。ちょっとだけ見てみるか。トラックに乗ったことはないやろ」 「―――っえ! トラックですか? うーん・・・・・・」 困惑する浅子に矢萩田は畳みかけた。 「ええがな。一生に一度の経験や」 「でも・・・・・・」 浅子の脳裏に、何故か子供達の顔が頭に浮かんだ。最近は会話が少なく、トラックに乗った話をすれば会話の糸口になるように思えた。それに恩人の勧めを頑なに断ることも、矢萩田に対して失礼な気がした。 暫く思案した浅子は、「お邪魔じゃなければ少しだけ」と言って、自分の自転車をトラックの脇に止めたのだった。
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