皆が入浴を済ませ、その後は日付が変わるまで飲んだ。
話題は尽きることがなく、それでも俺の大きな欠伸が皆に伝播する頃には、お開きの流れになった。
俺たち夫婦は2階の寝室へ、木村と珠希さんはゆり子が用意した1階の和室へ移動した。
ベッドに横になると、隣からはすぐに小さな寝息が聞こえ始めた。目を瞑る俺の脳裏には、風呂上がりの珠希さんの犯罪級の双丘と胸の谷間が焼き付いていて、なかなか寝付けないでいた。
次第によこしまな考えが頭の中を支配してゆく―――。
1階では木村と珠希さんがヤっているかもしれない。
ジャージーを脱がされた珠希さんの巨乳に、大口を開けた木村が嬉々とした表情でむしゃぶりついている。
唾液にまみれた双丘はテラテラと妖しく輝き揉み込まれるごとに形をいやらしく変化させ、勃起した薄ピンクの先端が男の舌を待ちわびるようにしてふるえていた。
そして眉間にシワを寄せた悩ましい表情の珠希さんが、2階にいる俺たち夫婦に聞こえないよう懸命に喘ぎ声を我慢している―――。
―――ふと暗闇の中で目を覚ました。
下半身に手をやると勃起していた。あらぬ妄想に囚われて、いつの間にか眠ってしまったようだ。横を見ると寝ているはずのゆり子の姿が見当たらない。
既視感を覚えた俺は、静かに起き出した。木村と珠希さんのセックスを想像した天罰が下ったような気持ちになる。
寝室を出て静かに廊下に立つ。
階段から下を覗いても灯りはなかった。転げ落ちないよう慎重に下りると、とりあえずはトイレを確認することにした。しかし、そもそも電灯は点いてなく、扉の外からも気配がないことが分かった。
そこで木村の存在を確認した方が早いと考えた俺は、木村と珠希さんが寝ている和室を確認することにした。
なんだか覗き魔みたいな気持ちになる。
引き戸をゆっくりと静かに滑らす。
暗闇に目が慣れてはいないが、なんとか横になっている人影を捉えることができた。
小さな寝息が聞こえ、その人影が珠希さんのものだと判った。しかし人影は1つだけ。木村が見当たらない。
2階の寝室にゆり子の姿がなく、和室にも木村の姿がない。
頭の中が冷めてゆく感覚―――嫌な予感が腹の底から込み上げる。
「―――ダメっ」
その時リビングの方からゆり子の抑えた声が聞こえてきた。
とっさに和室の引き戸を閉める。もしかしたら、の状況に結婚を控えた珠希さんを遭遇させる訳にはいかない。
珠希さんを気遣うと同時に強い怒りがふつふつと湧いてきた。
それは妻を寝取られた時にもあまり感じなかった感情で、木村を殴ってやりたい衝動に駆られた。
真っ暗な中、ワザと足音を立てて廊下を進んだ。
もちろん珠希さんを起さないように加減はしている。
するとボソボソと聞こえていた、扉を隔てた向こう側の話し声がピタリと止んだ。
覚悟を決めてリビングの扉を開けると、立ったままの2人の固唾を呑む気配が中央にあった。
廊下よりは暗くはない。ぼんやりとだが目も慣れて2人を判別できた。招かれざる俺の登場に2つの影が弾かれたように距離を取った。
「―――あっ!」
「し、信太!」
拳を固めた俺は2人の影に無言で近づくと、木村の左頬に一発くれてやった。
―――バチン!
小さな呻き声を上げた木村は片膝を着いた。咄嗟に手加減はしたが、俺の拳も相当に痛む。
「ちょっと落ち着いて!」
2発目の拳を振り上げたところで、ゆり子が両手でしがみ付いてきた。
うなだれた様子の木村は殴られた左頬に手を添えていた。
「ちがうのよ。その――― トイレに起きたらキム兄と鉢合わせしちゃって」
「だったら何故? 真っ暗なリビングで2人きりなんだ!」
「そ、それは―――」
「―――悪い。俺が誘ったんだ。もう一度だけ治療をしてもらいたかった」
うなだれたままの木村が視線を彷徨わせて言い訳を口にした。
「お前な! 上月さんと結婚するんじゃないのかよ。何を考えてんだよ・・・・・・」
呆れてものが言えない。それに寝ている珠希さんを起す訳にはいかなかった。怒りに任せて大きな声を張れないぶん、落ち着きを取り戻すのも早かった。
「すまない。このことは―――」
「―――上月さんに言える訳がないだろ。ゆり子、お前もお前だ。どういうつもりなんだ」
「ごめんなさい。でも本当に断るつもりだったのよ。私も珠希さんを裏切りたくない」
そこは俺を裏切りたくない、だろう・・・・・・。
まあいい今夜はセックスをしていたわけではなくて、未遂だったことは救いだ。
「あのことはキムの女性恐怖症を克服するための治療行為だったんだぞ。俺に隠れてすることを許した覚えはない」
「悪かった・・・・・・ 俺はおまえの親友失格だよ」
「俺が怒っているのは、ゆり子を誘ったこともだが――― それよりも上月さんと結婚しようというお前が何をやってるんだってことだ」
「ああ、そこは謝るしかない。珠希には正直に話をする」
「キム兄・・・・・・」
消えて無くなるんじゃないかと思われるほどに消沈する木村。俺は深い溜息をついた。
「―――言わなくていい」
「えっ!?」
「言わなくてもいい、と言ったんだ」
「でも・・・・・・」
「未遂だろ。もういいよ。それに幸せそうな珠、いや上月さんにゆり子とキムの治療行為について話せる訳がないだろ」
「・・・・・・」「・・・・・・」
真っ暗なリビングに似つかわしい、暫しの沈黙。
まったく溜息しかでない状況だった。親友を殴ったことで、俺の胸の内にも苦い痛みが広がっていた。
「ゆり子とヤリたかったのか?」
沈黙を破った俺は、ド直球に聞いてみた。『セックスごっご』とも『本番行為』とも、どちらの意味とも取れるいやらしい言い方だ。
「ち、違うんだ。いや、違わないか・・・・・・ 正直に言えばヤリたかった」
真っ暗なリビングで表情は窺い知れないが、ゆり子の息を呑む気配がした。
「お前なぁ・・・・・・ 旦那を前にしてよく言うぜ。上月さんはどうするんだよ。結婚するんだよな。好きじゃないのか?」
「―――好きだよ。愛してる!」
「キムよ、言動が伴ってないぜ」
「ああ、分かってる。今夜のことは本当にすまなかった」
もう一度深く頭を下げる木村。バカ正直な男で流されやすい所もあるが、まったく空気が読めないというわけではない。
これは長い付き合いの親友としての直感だった。
「何かあるのか?」
「・・・・・・できないんだ、セックスが」
俺の質問に一拍置いて、消え入りそうな声で木村は答えた。
それは予想どおりだった。
ある程度遊んできた俺でも気後れするくらいに珠希さんは美しい。日本人形のように整った顔立ちと豊満な肢体。道行く男の誰もが振りかえてしまうだろう。
最近まで女性恐怖症だった男には荷が重すぎた―――。
付け加えれば、ほぼ一夜漬けの荒療治だ。本当に女性恐怖症が完治したとは、楽観的に過ぎたのだろう。
「焦らなくていい――― ってそう言ってはくれている。でも付き合ってから今日まで1度もできてない。今夜も試したんだが、やっぱりダメだった」
「それでなんでゆり子かよ」
「偶然なんだ。トイレに行こうと思って廊下にでたらゆり子ちゃんがいて、それで――― もしかしたらゆり子ちゃんとなら・・・・・・」
そのまま俯いてしまう木村。言葉は続かない。って、冷静に聞けばゆり子とはセックスできるという意味だろう。
こいつは本当にバカ正直だ。
少なくともゆり子と木村が2回はセックスをしていることを俺は知っている。だが、お前の言葉はその事実を認めているようなもんだろう。
ゆり子からも思う所があったのか、気まずい雰囲気が伝わってきた。
「女性恐怖症の再発か?」
「ああ、その通りだ。確認したかった」
「だから俺に内緒でセックスごっこか?」
「・・・・・・すまない。ゆり子ちゃんには断られた」
「―――ごめんなさい」
俺に対していつもは強気なゆり子も珍しく頭を下げた。それを見た俺の口から溜息が漏れる。
「ふぅ~わかった。今夜の事は上月さんには秘密だ。とりあえずキムの気持ちは理解した。未遂だから許してやる」
「信太―――」
「1人で悩まずに、まずは相談しろ。当面は結婚式に向けてあれこれ考えるな」
「悪かった。親友の忠告に従うよ」
「さあ、もう寝よう。上月さんが起きてきたら面倒だ。それとキムの悩みが深刻なのも理解した。落ち着いたら相談に乗るからな」
リビングでの3者会談は玉虫色の決着となった。
思う所はある。
もしも俺が起き出していなかったら、押しに弱い(今回の療治で分かったことなのだが)妻のゆり子と親友の木村はセックスをしていたという確信があった。
1回でも情を通じた男女を俺は手放しで信じることはできなかった。
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