まだまだ残暑が厳しい9月の吉日―――。
幼馴染で親友の木村とスナックで雇われママとして働いている上月珠希さんの結婚式が、小さな教会で親戚やごくごく親しい友人が招かれて執り行われた。
馬子にも衣裳の木村は終始緊張しっぱなしで、俺は笑いを堪えるのが難しくて妻のゆり子に何度も肘で腹の辺りを小突かれた。
一方の珠希さんは、純白のウエディングドレス姿―――。
背が高く綺麗な顔立ちをしていることから雑誌のモデルのように美しい。珠希さんが教会に現れると、男の参列者からは感嘆のため息が漏れ聞こえた程だ。
そんな珠希さんの横で幸せそうな表情を浮かべている木村を見ていると、親友としてことのほか喜ばしく、なんだか誇らしい気持ちにもなっていた。
そして女性恐怖症を克服するための一連のドタバタを思い返す。
まさかゆり子が協力してくれるなんて思ってもみなかった。セックスごっこを許した流れから、2人が本当のセックスへと至ってしまったことは誤算だったのだが・・・・・・、少なくともこの瞬間の木村を見ている限りでは後悔なんてなかった。
ただ―――、今夜のことを思うと力不足だったことは否めない。
結婚初夜を迎える2人は、新郎の女性恐怖症のせいで結ばれることはないのだから。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
式の後、教会近くの小洒落たレストランへ移動した。
なんでも珠希さんのお気に入りの店らしく、今日は貸し切りということだった。
披露宴という仰々しいものより、こういったレストランでの食事会の方が肩ひじを張らなくて済むのでありがたい。
普段から木村の近くにいる俺は、少し引いた立ち位置で2人を祝福していた。
ゆり子はというと、止めとけばいのに写真を撮ったり酒を注いだりと何度も珠希さんの所へ絡みにいっていた。
でもそれは―――、ゆり子なりの気遣いだったのだろう。
俺も薄々は気が付いていたのだが、新婦側の出席者が新郎側に比べて見劣りするくらい少なかったのだ。
なんでも珠希さんの父親は早くに亡くなっているということで、そのため教会でのバージンロードは母親と一緒に歩いていた。
木村とはこれからも家族ぐるみで長い付き合いになる。
普段会えない人からしっかりと祝ってもらえばいい。俺は外の空気を吸いたくなって1人で会場の外へ出た。
扉を潜るとエントランスになっていて、普段ならここで会計を済ませるようだ。
今日は食事会からの参加者がいるみたいで、受付場所になっていた。
今も祝儀袋を差し出している男性―――頭の薄いよく肥えた初老の男が受付の担当者と遣り取りをしていた。
―――うん!?
その男を見た瞬間に全身がイヤな感覚に包まれる。妙な胸騒ぎがした。
意識的に落ち着こうとして大きく息を吐き出した俺は、その男が立っている受付に背を向けると逃げるように中へ戻ろうとした。
そこへ―――、「あんた!」と明らかに俺の背中へと言葉が投げかけられた。
立ち止まった俺は、声のした方向へゆっくりと振り返る。
そこには、受付の傍らでこちらを向いた厳つい男の顔があった。
「おお、あんたは――― やっぱりあの夜の」
「はぁあ?」
ぶしつけな物言いのこの男の顔を忘れるはずがない。
スナックの扉越しだったが、嫌がる珠希さんに何かしら言って強引に詰め寄っていたのは目の前の男で間違いなかった。
「どちら様で?」
「あんた俺の店の客だろう」
相手の真意を窺いつつ、咄嗟にとぼける俺。
しかし相手は俺のことをよく覚えていたみたいだった。
「ここにいるってことは、ははーん、やっぱりあんたは珠希の知り合いだったんだな」
「・・・・・・」
一見客を装って珠希さんを助けに入った夜の出来事が思い起こされた。
目の前の男は口の端を器用に歪め、厳つい顔にいやらしい笑みを湛えていた。
「どうした、怖い顔をして」
「い、いえ、別に―――」
「俺は珠希が働いている店のオーナーで、吾妻っていうもんだ」
「それで――― なんでしょうか?」
胸のポケットから取り出しておもむろに差し出された名刺には、『龍企画|代表 吾妻龍善』とあった。
目の前の男は珠希さんの雇用主。
普通に考えたら来賓だろう。でも何故だかこの男がこの場所にいることに強い違和感を覚えてしまう。
たぶん、あの夜の2人の会話を盗み聞きしたことに起因しているのだろうけど―――、2人の関係にただならぬものを感じ取っていた俺は、いつの間にか吾妻と名乗った男を睨みつけていたようだ。
「あんたの思っているとおりさ。俺は招かれざる客だ。用が済んだから帰るわ」
やっぱり招待されていなかったようだ。用とは、祝儀のことだろう。
律儀なのか、それとも・・・・・・、そう俺にはこの男が珠希さんに執着しているように見えた。
―――店を辞めさせてくれないの
と珠希さんの言葉が甦る。
「あんた名前は?」
「・・・・・・」
顔に警戒色を滲ませているだろう俺は、吾妻に名前を聞かれて答えるのを躊躇った。
あまり関係を持ちたくない人種、というのが正直なところだ。
「ふん、まあいい。あんた――― あの時の俺と珠希の話を外で聞いてたんじゃないのか?」
ほぼ初対面の相手に対して、吾妻は値踏みするような視線を向けてきた。鋭い眼光に射すくめられて、俺の背中に冷たい汗が流れる。
これじゃあ俺は蛇に睨まれた蛙みたいじゃないか・・・・・・、それに勘が鋭い―――。
「だ、だったら――― どうなんですか?」
俺には妻も子供もいる。本能がこの男と関わるなと告げていた。
しかし珠希さんは、たった今俺の親友の奥さんになった人で―――他人事として知らん振りできる問題ではないのだが・・・・・・。
「ふんっ、あの時は邪魔してくれたんだな」
「じゃ、邪魔って・・・・・・」
普通に話していたところから、吾妻は一転して凄みのある低い声を出した。
正直怖くて相手の目を見ることができなかった。それでも吾妻が値踏みするような視線を向けているのがはっきりと窺えた。
「あんたがここにいるってことは、あんた珠希とどれくらい親しいんだ?」
「別に親しいって程の―――」
「―――ああ、そうか! おまえは酒屋の子倅の知り合いか。それで結婚式に呼ばれたんだな」
「あなたには関係ないでしょ、もう失礼します」
踵を返しかけた俺の肩を、吾妻の太い指が鷲掴んだ。
「―――えっ!?」
「あんたに――― おもしれーもの見せてやるよ」
「はぁあ?」
「そう、とぼけた顔すんな。あんたに面白れーイイものを見せてやるって言ってんだ。だからまた飲みにきな」
吾妻は満面の笑みを顔に貼り付けて言った。その表情は厳つい顔に似つかわしくない。だから余計に気味が悪くて、恐ろしかった。
「あの、結構ですから」
「いつでもいいから名刺の電話に連絡をくれ。あんたも珠希と知り合いなら――― 興味あるだろ?」
俺の返事を無視した吾妻は、口の端をいやらしく歪めた言った。そして下品な笑い声をエントランスに響かせて出ていった。
俺は不安な気持ちを抱えながら吾妻が出て行くのを見届けた。
到底、真っ当な仕事をしている人間には見えなかった。珠希さんが抱えている事情は、俺が思っている以上に複雑で重たいものなのかもしれない。
木村は何か知っているのだろうか・・・・・・。
吾妻の去り際の言葉の意味を考えるとすぐには中へ戻ることができなかった。
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