擬似、請負い妻 第9話

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 テレビの画面に視線を向けたままで、固まっていた。リビングに響く粘着質の湿った音が、ゆり子と木村のディープキスの継続を示していた。

 かれこれ、5分は続いている。興奮した二人は、完全に俺を無視していた。興奮極まった童貞の木村なら、周りの状況が見えなくなることがあるだろう。
 
 しかし、子供を産んだことのある経験豊富な人妻のゆり子は、木村の状況に当てはまらない。どんな時も、俺の存在を必ず意識しているはずだった。そうであったなら、ますますゆり子の考えが判らなくなる。

 もしかしたら、セックスレス気味の欲求不満な体に火が付いたのか、それとも、単に俺を嫉妬させて喜んでいるのではないのか、と色々考えずにはいられなかった。
 
 小さいが、ぶちゅうー、という壁に吸いついた吸盤が離れるような音がした。股間に響く淫靡な音だ。精神的に、限界が近づいている予感があった。

 ―――もう頃合いだろう・・・・・・

 夫として、これ以上は妻の行為を認める訳にはいかなかった。ゆり子を信じているが、療治には相手がいる。その相手である木村の暴走が目に余った。

 この辺で、少し冷静になってもらうおうか、とソファ上の二人を見ないようにして、むくっと立ち上がった。緩慢だが、突然の俺の動作に、ソファの方で慌てて体を離す気配があった。

 体を二人の方へ向けると、ゆり子が慌てた様子でブラウスの胸元を直していた。目を合わせた木村は、すぐにテレビの方へ視線を逸らせた。

 気まずい空気が部屋中に充満する。意を決した俺は、軽い咳払いをして重い口を開いた。

「―――おい、ちょっとやり過ぎだろ」

 誰が何をやり過ぎなのかを言わなかった。当然、二人に向けた言葉であって、俺の一言で何が言いたいのかを、悟ってほしいという気持ちが込められていた。

「悪かった」

 素直に木村が頭を下げた。顔から血の気が引き、俺の一言で酔いが覚めたようだった。

「―――な、何よ」

 予想通りに、ゆり子は少しムッとした表情で、俺に食って掛かった。

「急にどうしたのよ。やり過ぎって、何が?」

「何がって、それは・・・・・・」

 具体的に言える訳がないだろう、と内心で言い返しながら、俺は言葉を詰まらせた。

「あのね、私はあんたの親友のために一生懸命に考えてんだから、なんで邪魔するの」

 伝家の宝刀、逆切れだった。鋭い切れ味で、俺はなますに刻まれる。

「ベタベタと見えないところで触ったり―――」

「―――当たり前でしょうよ。少しくらい触ったりしないと、克服できないでしょ。キム兄もそんな顔しないで」

 見ると、両手で頭を抱えて、今にも泣き出しそうな木村の顔があった。

「こっちが隠れてコソコソしてるって? 違うよね。あんたが、一緒にいるんだから、私は安心して少し触ってもらってんの」

「わ、分かってるって。だけど―――」

「―――だけど、何よ! じゃあ、聞くけど、それじゃあ、あんたはどこまでならいいの?」

「どこまでならいいとか、そういう問題じゃ―――」

「―――問題にしてるのあんたの方よ。せっかく女性恐怖症の改善がみられたのに」

 ふくれっ面のゆり子が口を閉じると、木村が両手を合わせて俺に頭を下げた。

「すまん。許してくれ。調子に乗って、つい・・・・・・ その、興奮したよ。以前なら緊張で
興奮なんかしなかった。でも、自然と手が伸びちゃって・・・・・・」

 親友に素直に頭を下げられると、なんだか自分が大人げがないような気持ちになった。

「まあ、その、いいよ。俺も恐怖症が和らいでいるように見えたし」

「でしょ。改善されてる。すごい興奮してたし」

 ゆり子のストレートな言葉に、木村が困り顔を俺に向けた。

「どう? 途中で邪魔が入ったけど、このまま続けない」

 ゆり子が俺と木村の顔を交互に見た。異論がない訳ではない。しかし、話の流れから断ることはできなかった。これ以上怒らせたくない俺は、ゆり子の圧力に、渋々流される事に決めた。

「それで、あんたはどこまでなら許せるの?」

「どこまでかは、ゆり子が決めることだろう」

「何言ってんのよ。嫉妬して、あんたが止めたんじゃない。だから、どこまでがいいのか具体的に線引きしてよ」

 木村がトイレに立ってから、ゆり子が絡むように訊いてきた。

「いちいち決められるかよ。再開したら自分の考えですればいい」

「それじゃあ、最後までしていいの?」

 真顔のゆり子の口から、衝撃的な言葉が飛び出した。言い終わりの口元の端が、少し持ち上がっていた。

「―――ば、バカか。そういう話じゃないだろう」

 からかわれているのが分かっていても、第一声から詰まってしまう。俺の反応を窺っていたゆり子は、何故だか嬉しそうだった。

「どこまで大丈夫なのかを、夫のあんたが決めてよ」

「俺の目の前だったら、その、なんと言うか、少しなら――― 触らせたりするのは、OKな。でも、最後までっていうのは絶対にだめだ。手こきや素股も絶対にだめ」

 俺の言葉にゆり子が首を傾げた。

「手こきや素股?」

「そう、手こきや素股。その、手こきは、男のアレを手でしごいてやること。素股っていうのは、女のアソコに男のアレを擦りつけることだ。風俗でやるやつ。セックスできないから、その真似事。セックスの擬似的な行為だよ」

「ふーん、詳しいわね。まあ、いいわ。それって、男は気持ちがいいの?」

「どっちが?」

「手こきは、なんとなく想像できる。素股の方よ」

「もともと、床オナっていうやり方があるくらいだからな。アレを床に擦りつけるやつな。だから、女のアソコに擦りつけたら気持ちがいいに決まってるだろう。挿入はしないけど」

「入れたら、ただのセックスだもんね」

 過激な話しなのに、ゆり子は意外と冷静な受け答えだった。

 木村がトイレから戻っても、ゆり子は素股の話を続けた。途中から話に参加した木村が顔をしかめて俺を見た。

「いいこと考えたわ」

 小さく二度頷いたゆり子が、俺と木村の顔を交互に見た。悪い予感がした。俺と木村が、ごくり、と喉を鳴らした。

「―――セックスごっこよ」

 妻の口から、夫として耳を疑うような恐ろしい提案を聞いたのだった。
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