昼を過ぎたレストランは、僕の予想に反して客で溢れかえっていた。
船の上なので、食べる場所が限定されているからなのか―――。
「うわぁ~どうする? 座れないな・・・・・・」
不満そうな僕の言葉に、判断の早い妻が代替案を提示した。
「じゃあ、売店でおにぎりか何か買ってデッキで食べる?」
「旅行先で売店のおにぎりか・・・・・・」
「外の風に当たりながら食べたら美味しいと思うわ」
「うーん、味気ない・・・・・・」
「ちょっと贅沢言わないの! これも節約よ」
僕の優柔不断な側面に、妻の主婦としての側面がガブリと噛みつく。経験則から、この後の妻との面倒なやり取りを覚悟した。
―――その時だった。
僕らの名前を呼ぶ声がレストランの中ほどから聞こえてきた。
「大内さ~ん、こっちです、こっち!」
声のする方を見ると、中央のテーブル席に同室の青年たちが座っていた。田中と名乗った青年が手を振って僕らを呼んでいた。
「食事ですよね。よかったら一緒に」
僕は彼らと少しだけ会話を交わしていたが、妻は挨拶のみ。困惑の表情を浮かべた妻が、「どうする?」と囁くように言って判断を委ねてきた。
偶然に同室になっただけの関係だった。それでも折角の申し出を断る理由は、長い順番待ちの列に並ぶ僕らにはなかった。
僕ら夫婦が頭を下げて席に座ると、軟派な印象の田中君が満面の笑顔で迎えてくれた。大きな体の渡辺君が手を上げて店員を呼んでくれる。
「声を掛けてくれてありがとう」
同室になった2人の顔を見て僕は改めて礼を言った。
田中君の方は耳のピアスがワンポイントで、ラフな服装の中にも洒落なスニーカーを履いて若者代表といった感じがした。それに顔立ちも整っていて、女性には不自由しないだろう。
妻に向けられる満面の笑顔を見ていると、やはり女性の扱いに長けている気がした。
一方の渡辺君は、体格がよくもっぱら喋るのが田中君の方であることから硬派な印象は変わらない。
「なんだか厚かましく座っちゃって」
僕に続いて妻が礼を言った。
「いえいえ――― 同室のよしみじゃないですか」
爽やかな笑顔を妻に向ける田中君。笑った口元には白い歯が覗いている。時間にすれば僅かなものだったが、まっすぐ妻の顔を見つめている田中君は、なんだか妻の反応でも窺っているかのようで・・・・・・夫の身としてはいい気分ではなかった。
そして、その時の妻の変化を僕はけして見逃さなかった。
田中君に見つめられた時―――戸惑うような仕草を見せて、頬を紅潮させたのだ。久しぶりに妻の女としての一面を見た気がした。
女の一面を覗かせた要因が夫の存在ではなく、知り合って間もない軟派な印象の青年であったことに大人げなく嫉妬心が芽生える。同時に強く興奮している自分がいた・・・・・・。
食事が進む中、僕たち夫婦と青年たちの会話は弾んでいた。
改めての自己紹介や、共通の趣味であるバイクと旅の行程の話で盛り上がって、徐々に打ち解けあっていくのが分かった。
「へー、大内さんは時計回りですか? ―――僕らは決めかねてます。一路、知床を目指してもいいかなと・・・・・・」
「君たちは学生最後だろ? ゆっくりと計画を立てて悔いのないように満喫すればいいよ」
僕らの行程を話して聞かせると田中君が思案顔を作った。
「迷うな・・・・・・ うーん、当面は大内さんと同じように稚内を目指してみようかな」
右手を頭に添え、照れ笑いのような表情で田中君はチラリと妻を見たて言った。
その視線を受け止めて妻が口を開く。
「本当? それなら私たちと一緒に走る?」
若者との会話に触発されたのか、いつもの母親の顔とは違う一面を見せる妻。悪戯っぽい笑みを浮かべて田中君と渡辺君の顔を交互に見て言った。
さすがに妻の言葉を本気と受け取ってはいなかったのだが―――ここで一応釘を刺した。
「絵理、若者には若者の考えがあるんだから・・・・・・」
「あら? そうかな~みんなで走ったほうが楽しいわよ」
普段の妻にはない意外な返答だった。
夏休みの限られた時間。2人きりでツーリングしようと楽しみにしていた僕の気持ちが裏切られたように感じた。
年甲斐もなく若い学生に触発されて自分も若返った気分になったのだろうか・・・・・・心の中で妻にイエローカードを出す。
「ははは―――、考えときますね。大内さんがよければ・・・・・・」
微妙な雰囲気を感じ取った田中君が遠慮がちに言った。
旅行の開放感なのか若者に触発されたからなのかは分からない。
が、妻の身勝手な言動に、またしてもモヤモヤした気持ちになってしまった。
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