記録的な猛暑の夏が終わり、9月に入ってからは厳しい残暑の日が続いていた。それでも日が落ちれば、マンションの周辺では、リーンリーンと虫の声が聞こえるようになっていた。
「薬飲む?」
「ああ、もらうよ」
風呂上りの美智は、病院から新たに処方してもらった強めの薬を準備して鏡台の前に座った。
和義は妻が背を向けると、その薬を飲むことなくティッシュに包んでゴミ箱に捨てた。
介護ベッドの背もたれを倒して和義が目を瞑ると、髪をアップに纏めた美智が電灯を消して長女の桃香へ授乳する。
暫くして和義が寝息を立て始めると、美智は静かに立ち上がった。そして介護ベッドの傍までいき小さな声で、「あなた―――」と呼びかけ反応を窺った。
当然、狸寝入りの和義からは応答がない。
薬が効いたと思った美智は、夫の寝入りを確認して静かな動作で夫婦の寝室を後にした。
不思議なことに、和義が搾乳器についての話題を口にした日以降、居間の方から妙な音は聞こえてこなくなった。それでも、妻が夜遅くまで居間にいることは少なくなかった。
それとなく母親の照子に聞いてみても、どうやら普段どおりに早くから布団へ入るようで、和義はますます不審を募らせた。
(今夜も父親と二人きり、か・・・・・・)
そう思ってしまうのは、「義理でも親子なんだから」と妻に言ったはずなのに・・・・・・やはりその実は赤の他人であり、男と女であるからだった。
寝室の扉が閉じると同時に、和義はゆっくりと目を開け、耳をそばだてた――――――。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
居間では、昌義が秘蔵の酒を肴もなく一人で舐めていた。
テレビの画面には、ニュース番組が映っている。
隣の夫婦の寝室からは、照子の大きなイビキが聞こえていた。
夕方から降り出した雨のせいで少し肌寒く、ついこの前までフル稼働していたエアコンには電源が入っていなかった。
居間の扉がゆっくりと開き、夏場とは違って肌の露出の少ないパジャマ姿の美智が顔を出した。
「お義母さんは?」
「リハビリの付き添いは疲れるんだろう。最近イビキがうるさくて」
「すみません・・・・・・」
本当は美智が夫のリハビリに付き添えばいいのだが、授乳の必要な子供を抱えている現状では義母に頼るしかなかった。
「いやいや、美智さんが気にすることではないよ」
そう言ってコップの残りを一気に煽った昌義は、自分の座るソファーの横を軽く叩いて義娘を促す。そこへ義娘が遠慮がちに座ると、昌義の腕が細い肩を抱いた。
既に慣れてしまった熟柿臭い息が美智の首筋に掛かる。
「今夜はちょっと変わったものを観ないか」
「どんなのですか?」
昌義は化粧を落としてすっぴんになった義娘の顔に自分の顔を寄せ、地の白い肌と整った顔立ちを覗き込みながら息を吸い込んだ。風呂上がりの石鹸の匂いとシャンプーの香りに股間を熱くする。
「それは観てからのお楽しみだ」
「・・・・・・はい。あの、お義父さん―――」
「なんだい?」
「まだ和義さんは疑ってるのかも」
「美智さんは心配性だな。あいつは動けないんだから大丈夫だよ」
「でも・・・・・・」
美智は居間での会話や音が漏れていた事、搾乳器について夫と話したことを義父に伝えていた。
それは、夫が義父に話を向けた時の辻褄を合わせるのと同時に、義父の誘いがこの機になくなるかもしれないという期待があったからだ。
それでも―――義父の誘いはなくならなかった。
昌義は、長男が不審に思っているという話を聞いて、今年の梅雨時期に起きた殺人事件の顛末を思い出した。テレビのワイドショーや週刊誌ではずいぶんと取り上げられ、義父と嫁のただれた関係性が世間でも話題になっていた。
たしか義理の父親がその家のお嫁さんを殺害したとかなんとか―――。
(私が美智さんを・・・・・・)
頭に浮かんだ妄想に、それはないと頭を振る。そして肩を抱いた美智の体を引き寄せて接吻した。
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