梅雨入りした6月の下旬―――。
リビング中を我が物顔で歩き回る長男を横目に、俺と妻のゆり子の意識は1つのスマホの画面に向けられていた。
LIMUで送られてきた短い文章。親友の木村から送られてきた、見合いの結果報告だった。報告が遅れた理由は、想像に難くない。
単純な話だ。キムが、親友の、そう俺の妻を寝取ったからだ。あいつの事だ、罪悪感に苛まれていたに違いない。種を撒いたのは自分だが、ざまーみろ、と心の中で言っておく。
見合いの成否が気になっていたゆり子は、連絡がないことに業を煮やし、俺のスマホを手に取る事10回以上。その度に、まあ待て、となだめてきた訳だが。
短いメッセージの後に、緊張気味のキムと並んで、淑やか雰囲気の女性が写った画像が張り付けられていた。相手の女性は、俺たちの5つ年上の37歳で、名前は珠希さんと言うらしい。
なんでも、駅前の小さなスナックで雇われママをしていたとのことで、仕事関連の伝手で舞い込んだ見合いとは聞いていたが、まさか経験豊富にならざる得ないスナックのママとは、ある意味でウブな木村には荷が重すぎるような気がした。
「行ったことがある店なんじゃないの」
「ない、ない」
即答で首を横に振る。
「あやしい・・・・・・」
「店の名前は分からないけど、画像の顔に記憶はない」
「ふーん。まあ、いいわ」
「それより、キムは大丈夫か?」
俺の問い掛けにゆり子は、何が、とは聞かなかった。俺の心の内を見透かしている。
「大丈夫だって。私はあんたとは反対の意見よ」
俺の心配をよそに、ゆり子は平然と言ってのけた。
「職業がダメとか、そういう意味じゃないんだよ。画像でこれでけ綺麗なんだぜ。女性耐性が低いキムと違って、相手さんはさぞかしモテるだろう。もしかしたらバツイチ、ニイ、サン。それに子持ち―――」
「―――止めて。あんたの言ってることは偏見。それに女性蔑視と職業差別」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「待たない。仮に離婚していようが、仮に子供がいたって、キム兄が気に入った相手なら、別にどうだっていいでしょ」
「そ、そうだけど・・・・・・」
「離婚も子供も、もしもの話でしょ。もう―――、その話しは横に置いておいて。私ははじめから年上でしっかりした相手がいいと思っていたのよ。女性恐怖症のキム兄には、リードしてもらえる相手の方が絶対にいいわ」
「・・・・・・なにが女性恐怖症だよ」
妻の口から出た「女性恐怖症」という言葉を聞くと、浴室の扉に透けて見えていた、ゆり子と木村の重なったシルエットが脳裏を過り、自然と小声で毒づいていた。
「―――何か言った?」
「い、いや、べ、別に何も」
「キム兄が前に向いたのよ。親友としては応援しかないでしょ」
「そうだな―――」
単純な俺は、妻の前向きな言葉に、意外とお似合いのカップルなのかも、と考えを改めた。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
梅雨明けを期待する青空が広がった7月初旬―――。
見合い直後から、まったく姿を見せなかった木村が婚約の報告に我が家を訪れた。
リビングの椅子に座る木村の横には、淡い桜色のワンピース姿の女性が、淑やかな表情で優しい笑みを浮かべて座っていた。
スナックのママと聞いていた俺は、勝手な想像で派手な女性の姿を思い浮かべていた。画像で綺麗な顔だと思っていたが、実際の珠希さんの顔立ちは日本人形のように整っていて、綺麗を通り越して少し儚げにも見えた。
薄化粧だからだろうか、赤い口紅がよく映えているが、けして嫌な印象はない。あと、男としてはどうしても視線が向くところがあって、ゆり子の隣で必死に誘惑から逃れようとしていた。
その原因は、大きく膨らんだ胸元―――。
ワンピースの腰を緩やかに結んでいるリボンのようなものがあり、余計に大きな胸が強調されていて、それは巨乳というより、卑猥な表現になるが超乳と言ったほうが適格だった。
ある程度場が和むと、俺は早々と誘惑に負けた。木村の婚約者の胸元に視線が向いたところで、隣に座るゆり子に思いっきり足を踏まれた。
「―――っつ!?」
「おめでとうございます」
俺の足を踏みつけながら、平然とした顔でゆり子が言った。
「ありがと。これも信太とゆり子ちゃんのおかげだよ」
木村の本心からの謝意だろうが、ゆり子の体を使われた夫の身としては複雑な心境だった。
「キム兄からの連絡がなかったから心配してたのよ」
根が真面目な木村だ。足が向かなかった理由はよく分かる。
まあ俺としては、童貞を卒業した木村が弾けてしまい、サルみたいにゆり子を求めたりしなかったことには安堵していた。
ゆり子も俺と同じ気持ちであって欲しいと願うのだが、女の本心は分からない。もしかしたら、もう一度くらいは求めてもらいたかったのかも知れないな。想像しただけで、テーブル下の股間が反応した。
「悪かったよ。色々と忙しくてさ」
「でも、良い報告が聞けてすごく嬉しい」
ゆり子の視線が珠希に移る。その視線を受けて珠希さんが口を開いた。
「ありがとうございます。達男さんからお二人のことは色々と伺っています。今後ともどうかよろしくお願いします」
女性にしては少し低めでハスキーな声だった。酒焼けのようにも思ったが、整った顔立ちとハスキーボイスがアンバランスで、妙に色っぽく感じてしまう。珠希さんの丁寧な言葉に、俺とゆり子は笑顔で頷いた。
二人が帰った後でゆり子に呼ばれた。
「あんた、どこ見てたのよ」
「いっ、み、み、見てない」
不自然にどもったことが、答えになっていた。
「鼻の下伸ばして。いやらしい! 親友の婚約者に失礼じゃない」
ゆり子の言葉に、「お前は、俺の親友とやったんだろうが」と心の中だけで叫んでみた。ささやかな抵抗だ。
「まあいいわ。それにしても、大きかった。あれじゃあ、肩凝ると思うよ」
「そうなのか?」
「経験ないけどね」
ゆり子はムッとした表情で言ってテーブルの上を片付け始めた。
とりあえず木村の話では、珠希さんの希望で披露宴はなし。式だけは小さな教会で身内だけで、ということらしい。その身内に俺たち二人も含まれていて、なんだか感慨深い。
入籍は式前の日取りの良い日に済ませる予定で、なんと、証人は俺たち夫婦。なんだか、この先の、深い深い家族ぐるみの付き合いが想像された。
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