「伊達先生のお出ましですか‥‥‥なんとも困りましたな。なあ珠希、誰の入れ知恵か知らねえが本気で店を辞めたいだと?」
吾妻の話ぶりから、やはり伊達弁護士と吾妻の間には少なからず因縁がありそうだった。ただ今はそんなことを考えている余裕はない。
珠希に向けられた質問をすかさず伊達弁護士が引き取る。
「吾妻さん、相変わらずお元気そうで。早速ですが本題に入らせてもらいます。さっきも説明したとおり今日伺ったのは、木村さんの雇用関係の確認と解消。それと借金の確認です。ただし、借金についてはこちらが提示する条件を呑んでいただければ、場合によっては譲歩する余地はあるかと」
事前の調査で、珠希に返済義務のある借金は存在しないということが判明していた。この話を持ち出されて困るのは吾妻の方だろう。
珠希を騙した架空の借金話。その事実を吾妻に突きつけてもよかったのだが‥‥‥伊達弁護士の話では、あまり吾妻という人間を追い込みすぎないほうが無難だとか。
だから借金の話は、吾妻と縁を切るための交渉の材料になる。
「条件、ですか‥‥‥。聞きましょう」
憮然とした表情の吾妻がタバコに火をつけた。煙を吐き出し濁った目を珠希に向ける。
「動画データの完全削除。彼女の同意がなくそんなものが流通していれば、告訴も辞さない―――と言いたいところですが、木村さんはそこまでを望んでいません。つまり正式に雇用関係を解消し動画データの存在を認め全て削除さえすれば、刑事告訴は行わないということです」
伊達弁護士は淡々と話を進めた。その表情からはどんな感情も読み取れない。ただ目的に向かって相手を着実に追い詰めている。
吾妻はいつのまにやら顔から汗が噴き出していて、焦っている様子がうかがえた。伊達弁護士を雇って正解だったと思った。俺一人なら吾妻を交渉のテーブルに着かせることは無理だっただろう。
「先生~、まあそんな物騒な話は‥‥‥‥‥‥はぁ~わかりました。借金はチャラでいいです。珠希が店を辞めるのも認めましょう」
吾妻はさも借金が残っているという立場を貫き、まるで自分には非がないとでも言うような態度で首を縦にふった。どこまでも上から目線で腹が立つ。本来なら珠希がもらっていた微々たる賃金に上乗せして逆に請求してやってもいいのだが、今回の一番の目的―――確実に吾妻と縁を切ることを優先する。
「動画の方は?」
「‥‥‥先生、存在する前提ですか?」
「吾妻さん、今までの状況を鑑みればこの話はそちらに有利なことしかない。あなたはよく理解しているはずだ」
ダメ押しのように伊達弁護士が静かな声で迫った。
吾妻は腕を組んで少しのあいだ黙考した後、「先生には参りましたな」と言って立ち上がると奥の机に移動した。
黒色で長方形の機器を手にして戻ってくる。
「珠希の動画は全部このハードディスクの中だ。箱ごとやるから自分で消しな。どうせ後からコピーがあったとか難癖つけられたら面倒だからな」
俺に近いテーブルの上に置かれたのは、外付けのハードディスクドライブだった。
中に珠希の痴態が記録された映像データがあるということだが―――コピーの存在については気になるところだ。でも、そこは確かめる方法がない以上、相手の言葉を信用するしかなかった。
「木村さん、今日限りで吾妻さんとの雇用関係は解消する。借金についてはこれ以上の返済は免状され、相手に過払い金の請求はしない。付け加えて動画データの受け取りと削除、これでいいですか?」
「はい」
顔を上げた珠希がはっきりとした口調で伊達弁護士に返事をした。
「吾妻さん、あなたは?」
「はぁあ‥‥‥わかった」
吾妻は大きな溜息を吐き不承不承という態度だったが、一応は首を縦にふってみせた。
「では書面を交わしましょう」
伊達弁護士が鞄からあらかじめ用意していた書類を取り出すと、そこからは早かった。
「じゃあな珠希。稼ぎたくなったら連絡してこい」
会社を後にする直前、吾妻が終始目を合わせなかった珠希に声をかけた。
先ほどの話し合いを歯牙にもかけない態度に腹が立つ。
「ご、吾妻さん、たま―――木村さんと今後一切関わらないでください」
俺が間に入ると吾妻がゆっくりと顔を向けてきた。口の端を歪ませ下卑た笑いを浮かべる。
「先生、知ってますか? この二人は不倫関係ですぜ。さっきのハードディスクの中にもしかしたらお楽しみの二人の映像が残ってるかもな」
どこまでも下劣な男だった。渡されたハードディスクの中にあの夜の場面が残されている―――!?
正直、その可能性は考えていた。吾妻の言葉で確信に変わる。やはり隠し撮りされていたとは‥‥‥吾妻が映像を見ていると思えば虫唾がはしる。
「か、関係ないでしょ―――!」
挑発だとわかっていても大きな声が出てしまう。
そんな俺の態度に吾妻は笑みを大きくした。
だが伊達弁護士だけは冷静だった。落ち着いた声で吾妻に念を押す。
「依頼者のプライベートに関心はないです。海原さん、書面の内容をお忘れなく」
「ちぇっ、わかったよ先生。じゃあな珠希、元気でな」
吾妻が珠希に一歩近づいて声を掛けた。でも珠希は返事をしなかった。
面白くなさそうに吾妻が俺に顔を向ける。
「海原さんよ、偶然どこかで会ったらよろしくな」
俺には脅しのようにも受け取れる言い回しだった。
裏社会に生きる吾妻という男にはある種の迫力があるが、こっちには伊達弁護士という強力な見方がいる。
「海原さん、あまり気にしないでください。あれは奴らの常套句だ」
「ですよね。大丈夫です。これで縁が切れると思えば清々します」
「ただ、注意は必要です。何かあったらいつでも相談してください」
この国は法治国家だ。今日みたいに法律に則ってきちんと対処すれば何も恐れる必要はないはず。
だから、この時の俺は吾妻の別れ際の言葉を、負け犬の遠吠えくらいに軽く考えていた。
◇◇◇◆◆◇◇◇◆◆◇◇◇
珠希がスナックを辞めてから一週間が経過した。
吾妻の会社を後にして以降、彼女には会っていない。
俺はというと、今日からあらかじめ予定していた九州方面へ出張する。
「信太、忘れ物ない?」
「ない、ない。着いたら連絡するから」
「あっ、そうだ。珠希さん、お店辞めたんだって」
靴を履いたところで、ゆり子が思い出したように言った。
「ああ、キムから聞いたよ。ゆり子は何で知ってんだ? 珠希さんから連絡があったのか?」
「ああ‥‥‥えっと~キム兄からメッセージで」
俺はただ何の気なしに訊いたのだが‥‥‥。
これから家を空けるというのに、ゆり子が一瞬気まずそうな表情を浮かべたのを見逃さなかった。
「ああ、そう‥‥‥。じゃ、行ってくるわ」
「あっ、うん。気をつけて」
俺たち夫婦と木村は以前からメッセージアプリで互いに繋がっていた。
でも、今までゆり子と木村の直接のやり取りは想定していなかった。
昔から家族ぐるみの付き合いである。普通に考えれば別に大したことではない。だが、二人の不貞を知ってしまった今では、モヤモヤする感情しか生まれなかった。当然、自分の行いは棚に上げてだが‥‥‥。
俺は心中のざわめきに敢えて耳をふさぎ、後ろ髪を引かれながら家を出た。


コメント
ゆり子はやっぱり浮気しるんだろうか・・・?
次が楽しみです。