「今夜は俺が、俺が買います!」
「――――――!?」
俺の言葉に一番驚いたのは、吾妻でも『先生』と呼ばれた男でもなかった。
隣に立つ珠希さんが驚きのあまり一瞬だけ息を止めたのがわかった。唇を固く結んで俺の顔を見てくるけど、その目を見返せる勇気はないぜ!
「海原さん――― 残念だが今夜は先客がいるんだ。珠希とヤリたいなら俺を通して話をしてくれ」
「珠希さんはしたくないみたいですよ。こ、こういう事は珠希さんにも選ぶ権利っていうか・・・・・・自由に考えてもいいような・・・・・・奴隷じゃないんだから」
「奴隷なんだよ。それに商売だ。物事の筋を違えたらカタギのあんたでも大変なことになるよ」
目眩がした。その言い方だと自分はヤ〇〇な世界の住人ですって言ってるのも同じですよね!
だがしかし、もう後には退けない。何故なら傍らの珠希さんは縋るようにして俺の片手を抱きかかえて離さないし、なによりあの『先生』を見る珠希さんの嫌悪の眼差し―――。
「す、筋は違えません。先客がいるなら予約を取ってもらっていいですよね」
吾妻と交渉しても無駄なことはわかった。想定内だ。
俺の話を聞いた吾妻は厭らし笑みを浮かべた。
「うん? ああ~そんなに良かったのか? 最初のようなサービスはしねぇ~からな。次は通常料金だ」
「わかりました」
いまの会話の流れで、以前に俺が珠希さんとSEXした事実を本人が理解しただろう。
もうどうにでもなれ、っていう感じだった。諦めの境地ってやつだ―――。そして人間、諦めの境地に達すると妙な力が発揮できたりもする。
不安に揺れる瞳で見つめてくる珠希さんは、自分を買うという俺の話を聞いても傍らにとどまっていた。ということは、この話を進めて大丈夫ってことでいいんだ、と勝手に解釈させてもらう。
「それじゃあ~~帰ろーうかな――― っとよく見れば~~~先生じゃないですか! あっ、し、失礼しましたぁ。私―――」
吾妻との話をやめた俺は、『先生』を標的にして一方的に話しかけて距離を詰めた。
そして上着の内ポケットから取り出した名刺を差し出して、『先生』に対して全力の自己紹介。芝居がかった口調になってしまったが、この作戦の神髄はそこにはない。三文芝居で乗り切れる局面ではないことぐらいわかっているのだ。
素性を明かすことでこの後の俺の発言にリアリティを持たせる。
「いや~~~とんだお恥ずかしいところを・・・・・・こんなところでお会いするなんて」
「う、あ、ああ、海原さん? きみとは、どこで・・・・・・」
俺の名刺を不機嫌そうに受け取って、興味がない素振りを見せながらも目の端で名前をしっかりと確認した『先生』の動き―――処世術に長けたその正体はおそらく間違いない。
あとで珠希さんに確認すれば分かることだろうが、現状では賭けだった。
「最後にお会いしたのはいつでしたか―――駅前のホテルの・・・・・・いや違うな。ああ~そうだ。たしか、あそこの、大広間のパーティー? 違うな~空港だったかな~私は社長と一緒で―――公園だったぁ? 大きな川の? どこでしたかね~」
「大きな川? もしかして河川敷のやつかね」
「そ、そうです、それです河川敷・・・・・・河川敷? ああ思い出しました。河川敷のやつですよ、ははははは」
「きみは後援会の関係者かね」
適当にばら撒いたワードになんとか喰い付いてくれた。
面識が多く人の顔をいちいち覚えていられない。だからといって支援者を無下にも出来ない。
学生の頃、ホテルでアルバイトをしていた時期があった。そこで主催された政治家のパーティーで見て感じたそのまま。『先生』の正体はやはり政治家だったか。
吾妻が間に入ってくるまでの短時間でたたみ掛けるしかない。
「それにしても先約が先生だったなんて―――凄く、もの凄くびっくりですよ」
「うっ、むむむ」
「いや~政治家っていってもたまには息抜きが必要ですよね。正直に話せば私も息抜きがしたくって・・・・・・ こんなこと言うのは恥ずかしいんですが、妻にはこの先離婚されそうでして。それに親友には背中から・・・・・・ いろいろ考えてると息が詰まっちゃって、私はもう失うものがないんで、それで今夜はここに来たんです」
「あ、ああそうかね。気の毒に」
「今夜の先約は先生か~~~ああ、残念だな~。でもいいんですか先生? 私は失うものがありませんが―――」
吾妻の様子を気にしながら俺は『先生』の耳元に口を寄せた。
「ここって薬の噂がありますから。それで週刊誌の記者が付近を嗅ぎまわっているらしいですよ」
耳元から口を離すと『先生』の顔色が明らかに変わった。その時、吾妻が俺と『先生』の間に割って入ってきた。
俺が距離を取ると珠希さんがスーツの袖を後ろからぎゅっと掴んだ。
「海原さんよ~客同士のやり取りも禁止だ」
「す、すみません」
「先生、何を吹き込まれたか知りませんが、誤解しちゃあ~いけない。あの男はこっち側の人間ですぜ。ここでの事は外部に漏れる心配はありませんよ」
「う~~~ん」
あんなに珠希さんをいやらしい目で追っていた好色爺さんだったが、俺の目論見通り日和っていた。
おそらく吾妻に無理を言ってこの場所にやって来た手前、いまさら止めたいとは言い出せない可能性が高い。そこで、このタイミングでダメ押しをする必要があった。
「あの~今夜だったら2倍、いや3倍の料金を払います」
言った瞬間、「バカっ!」という言葉とともにスーツの袖を後ろから強くひっぱられた。
『先生』は少し安堵したようにも見えたし、吾妻にあっては顎に手を添えて何かを考えるような素振りを見せたのだった。
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